僕のアイデンティティは手塚治虫で確立した

このブログは手塚治虫作品の感想をつづります

2丹下左膳

 丹下左膳(原作・林不忘

あとがきで換骨堕胎(骨組みを変えて別のものにしてしまうこと)と書いているように、原作を下地に手塚治虫独自の丹下左膳が誕生した。

 チャンバラものは昔から好きだ。テレビでも水戸黄門大岡越前はたくさん見た。何といっても勧善懲悪、結末が決まっていて安心できる。

 ネットで調べると丹下左膳はオオムカシに映画で流行した時代劇、大河内伝次郎が演じたとある。 大河内伝次郎といえば、子供頃、漫談でよくモノマネされていた。 「おぉのぉおのぉがた、ワタジィーハ、おおぉこぉうぅじぃ~でぇんじぃろぅうでござぁりぃまするぅ」と 活舌は悪かったが、とても魅力的で個性あふれる俳優で好きだった。 京都嵐山には大河内山荘という広大な敷地の庭園を持っていて今は一般に公開されている。

 丹下左膳は昔から名前だけは知っていたが、ストーリーは知らなかった。

手塚治虫が書いてくれたのはありがたい。

 手塚版丹下左膳。「こけ猿の壺」を手に入れたツヅミの与吉、壺を持って逃げる途中、やきいも屋のチョビ安の屋台で休んだところ壺を取り違え一騒動。 チョビ安はおキヌちゃんにやきいもをあげようと思っていたので与吉を追いかける。

船つき場で丹下左膳と出会った与吉は、片目片腕の容貌に恐れ壺を手放した。 チョビ安が追いついたとき、壺の中のやきいもは丹下左膳のお腹に入っていた。

悲しむチョビ安を慰める丹下左膳、両親がいないチョビ安は左膳にお父ちゃんになってくれと頼み二つ返事でOKをもらう。

二人がチョビ安の住んでいるトンガリ長屋へ向かう途中、チョビ安の商売道具が壊されており、 チョビ安は、丹下左膳とともに壊された代金を取るため司馬道場へ向かう。声をかけるが屋敷の中はガランとしている。 丁度、道場主が臨終のときを迎えていた。

道場の跡継ぎは伊賀源三郎と決まっていたが、留守を預かる峰丹波とお蓮は共に図って源三郎の許嫁の萩之を追い出し道場乗っ取る企てる。

 左膳とチョビ安が代金を寄こさない峰丹波とチャンバラをしていると、植木屋がこけ猿の壺を取り戻そうと乱闘に加わった。 その時、お連がピストルを1発打った。左膳とチョビ安は長屋へ、あわてて逃げ戻った。 おキヌと暮らす作じいさん、左膳は挨拶もそこそこに作じいさんの造った馬の像を見て、世に名高い作阿弥と見抜いた。 作阿弥は日光東照宮の彫り物がうまくできず逃げだしてきていた。左膳はこけ猿の壺を作阿弥に見せる。 作阿弥は、こけ猿の壺は朝鮮から渡ってきた茶壷の名器、昔、伊賀のタジマの守のところで見たという。

左膳は壺を作阿弥に預けたが、木の上から見ていた与吉が再び壺を奪い、チョビ安が山手線沿いに逃げる与吉を追いかける。 まるでチャップリン。 与吉が橋の欄干から落ちると丁度下にいたルンペンが壺を拾って、こう言い放った。

こけ猿の壺に用なし 中に入れてある図面に用あり

図面に用なし その図面のしるす 

柳生のうめたる 百万両の黄金に用あり

ルンペンは蒲生泰軒という大岡越前の知り合いだった。「こけ猿の壺」をめぐる騒動はこれが真相だ。

越前は壺の底をろうそくの火であぶると壁に文字があらわれた。さすが大岡越前、いい役をする。

百万両を埋め置きたる地図は龍眼寺にあり 

ところが、その寺は司馬道場一味に追われた伊賀源三郎と左膳が共に寺の穴に落ち、その後、焼き払われた。

 穴に落ちた左膳と源三郎、奇しくも昔掘った抜け穴で脱出は成功した。

源三郎は水を大量に飲みのびてしまう。左膳は源三郎を木にぶら下げておく。

源三郎がようやく気付くと、丁度そこへ峰丹波がやってきてチャンバラに。 峰を打ち取り、源三郎が道場へ向かうと、お蓮は作阿弥の娘でおキヌちゃんの母親だったことがわかり、お蓮はおキヌちゃんに説得され、すっかり改心し江戸へ連れ戻された作阿弥がハリツケになるのを見届けたいという。 源次郎は日光東照宮の改築にはどうしても百万両が必要として、こけ猿の壺の探索に、お蓮とおキヌは江戸へ、 そして左膳とチョビ安も百万両のありかを求めて旅にでる。

 物語はこれで大団円、何か尻切れトンボのような形だが、次回へ続くという映画と同じだ。

 丹下左膳は右目が額から肩にかけて裂けているが、手塚丹波は右目がバッテン、片腕もどっちが無いのかよくわからないが 、あいかわらずのユーモアあふれる描写でそんなことはちっとも気にならない。

 丹下左膳・こけ猿の壺の巻はこれでおしまい。続きはない。 でも今まで知らなかった世界が知れてとっても幸せだ。